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 買新羅物解   written by  solon   
日本最高の新羅商品、新羅産毛氈(もうせん)

8世紀日本の首都であった奈良市には、東洋最大の仏像で有名な東大寺がある。そしてその法堂の後ろには、同寺の 倉庫であった木造の正倉院があるが、聖武天皇の死後、東大寺に寄贈された遺品がその正倉院に保管されることになり、 後には日本皇室の宝物倉庫ともいわれるようになった。そしてその正倉院の中から、当時の日本と新羅との貿易関係が よくわかる様々なものが発見された。そこで東大寺の正倉院に保存されている遺物の中に、新羅との貿易関係がわかるものが どれぐらいあって、それらを通じて見た日本と新羅との外交関係はどういうものだったのかを探ってみたいと思う。

新羅産毛氈の荷札
正倉院への一般人の接近は許されなかったという。そのおかげなのか1200年の歳月にもかかわらず、今でもその中に 保存されているものは当時のままである。
このように大事に扱われた正倉院で発見された遺物の中には、高句麗、百済を統一した百済でつくられた、 今でいうカーペットのように使われたと思われる毛氈が50枚もあった。これは当時としてはとても貴重なものだったので、 王族や貴族または僧侶など限られた人だけが使用できたものだという。そしてこれらには新羅産ということがわかる荷札がついており、 その荷札の内容からは当時その品を造った製造者までも知ることができるという。のような事例は正倉院に所蔵されている 新羅産真や墨を通じても確認することができる。こういった荷札は、今で言う商品のラベルと似たような役割をしていたのではないかと考えられる。

新羅と日本の貿易
752年、東大寺の大仏開眼式に参席するため、新羅の使節700人が日本にきた。これは日本皇室が長年をかけて造り上げた 東大寺の大仏を祝うため、各国使節団を開眼式に招待したことによるものだった。当時新羅使は大宰府に到着、 海路で難波に入り、淀川等を通り奈良に到着した。6月14日新羅の使節団は、天皇に外交辞令をのべた後、公式的外交日程 に入るが、ここで注目されるのがこのころ日本川の公益希望品目を書いた公文書、「買新羅物解」の作成である。 この時期「買新羅物解」は30枚も作成されるが、その作成日程を見てみると6月15日から7月8日までで、新羅の使節団 が日本に滞在した在留期間と一致するのである。そしてこの公文書は新羅の使節団との公的貿易を通じて、毛氈などをはじめとする 300余の品を購入するために作成されたものであった。
しかしこの当時、東大寺の開眼式に参席した新羅の使節団は700人全員ではなかった。 700人の内奈良についたのは370人だけで、残りの330人は停泊地である新羅江(現在の天満橋付近)から上陸し、 日本の貴族たちと私貿易をしていたのであった。こういった貿易関係を通じて様々な新羅産の品が日本に渡ることになったのではないかと考えられる。 そして752年日本に来た新羅の使節団は、外交任務だけでなくこのような貿易までも担当していたことがわかる。

買新羅物解
買新羅物解とはつまり当時買いたい物を書いた文書である。そして買新羅物解の解とは役所での上申書をさすが、 この解からわかったことは、新羅物の購入には申請が必要であって、その申請者のほとんどは五位以上の上級官人 と推定されるということだった。そうした貴族の購入希望をおそらく大蔵省がまとめ、新羅の対応する役所 「倭典」と交渉したようである。この様子は国家間の貿易そのものと言えるだろう。
さて、買新羅物解のリストだが、品目は香料や薬品、顔料、調度品など日本では手に入らないような贅沢品であった。 これらの中には新羅でも生産できない物も入っていたので、それに関しては新羅による中継貿易品と考えられる。 なかには新羅特産もあったようで、たとえば高麗人参や佐波理などがある。サハリとはおわん(碗)を意味する 韓国語のサバルからきたものと考えられているが、これは新羅の首都であった慶州の古称・徐羅伐(ソラボル) がなまって真鍮製品をサブラというようになり、それからサバルがサハリとなまったものだといわれている。 また当時の新羅真鍮製品のことをシラギとも呼んでいたというが、これは考えてみればイギリスで陶磁器のことは チャイナ(china)、漆器のことはジャパン(Japan)というのと同じような現象だといえるだろう。 これ以外にも正倉院には「新羅武家上墨」「新羅楊家上墨」と銘の入った墨なども残っている。こういた事実は、 8世紀における新羅と日本との間で文物の交流が盛んであったことを示すといえると同時に、新羅からの輸入品が 日本の貴族社会全般に大きな影響を与えただけでなく、上層貴族文化の象徴であったと言えるだろう。

正倉院の宝物の意味
正倉院に保存されているものは、主に8世紀前後世界各地から入ったものである。日本の古代国家の 完成期であったこの時期に、日本文化を一段階高めたということで、日本ではこの正倉院の遺産に対する自負心が とても強い。そしてこの正倉院の宝物で象徴される8世紀の日本文化を、聖武天皇のころの年号をとって天平文化と呼んでいる。
一方この時期中国も唐の文化が花を咲かせていて、首都長安は世界各地から様々な文物が集まる交易の中心地だった。 それで新羅もこの時期長安に使臣を派遣し、輸入してきた唐の先進文化を日本にまた輸出していたのである。 しかし日本はなぜこのような文化を中国から直接受容しなかったのだろうか。 それは島国であった日本が外部の文物を受容するには遠くの国まで行ける船が必要であったが、それまでの日本にはまだそのような造船術 が発達していなかったのであった。そこでこういった事情の日本に、中国の品までも入れるにしたのが、当時東アジア一帯で造船術 と航海術の達人として活躍をしていた新羅商人の存在であったのだ。

日本皇室の宝物倉庫正倉院に眠っている新羅からの文物は、このような新羅の力量と日本と盛んに行われていた当時の貿易関係の様子を 今日も静かにもの語っている。

http://www.searchnavi.com/~hp/rekishi/youyaku/04-1.htm
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